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やっぱり海が好き

柴倉 孝さんご家族

【家族構成】
本人(30代)、妻(30代)、息子(5歳)、息子(3歳)
【移住暦】
5年目
【仕事】
本人/広島市へ車で通勤、妻/シンガーソングライター 

子どもの頃からの夢をかなえるために

江田島市内のビーチで友人たちとBBQをしている柴倉さんに、江田島市への移住のきっかけと島での生活について聞いてきました。

柴倉さんが広島市から他の地域への移住を考え始めたのは、奥様の妊娠がわかった頃だそうです。その当時、柴倉さんは電気工事士として働き、奥様はシンガーとして活動をしていましたが、ご夫婦ともに仕事や人間関係、まちでの生活に疲れていたそうです。そんな中、柴倉さんはあらためて真剣に将来を考え、奥様に相談をもちかけました。

「子どもの頃からの夢の漁業をやりたいんだけど…。と、妻に相談したところ、生まれてくる子どもにとっても田舎育ちはいいかもね、と言ってもらえたんです。」

奥様の賛同を得た柴倉さんは、すぐに漁業への道を模索します。『漁師.jp』というホームページで漁業研修制度を知り、どの地域が良いか研究した結果、江田島市で漁師になることを決意したそうです。

「漁に出たときに広島市の草津市場に近く、生活もそんなに不便ではない、など様々な条件が揃っていたのが江田島でした。」

はじまった漁師の研修

柴倉さんは漁師になるための研修生として、奥様は妊婦として、二人の移住生活はスタート。

「最初の2年間は漁の実地研修で、仕事を覚えるのに精一杯でした。漁師は皆さんが想像している以上にきつい仕事です。一度海に出ると、漁をして魚を港に卸し、また漁をして魚を港に卸す。その繰り返しで丸2日寝ずに操業するなんてこともありました。」

そんな生活なので、移住したといっても漁に出て、帰っては寝るという生活。漁師の先輩、ご近所さん、市役所の人を除くと、世間との交流はほとんどなかったそうです。
奥様も、初めての子ども、初めての島暮らしで何かと忙しく、同世代の人たちとの交流はあまりなかったそうです。

「その頃の助けになったのは、ご近所のおばあさんやおじいさん。島の情報や子育てなどいろいろ助けてもらいました。」

そんな柴倉家の生活が、大きく変わったのは、研修を終えて一人親方漁師として独立した、移住3年目からのことです。

チャレンジした漁師生活

独立当初は、漁獲高を確保するために無理して漁を続けるので体力的に厳しかったそうです。そんな折、奥様の言葉をきっかけに柴倉さんが新しい行動に出ます。

「漁師さんはたくさんいるのに、新鮮な魚を買える場所がないよね、という妻の一言で『木曜どうでしょう』が始まりました。(笑)」

どこかで聞いたことのあるネーミングですが、毎週木曜日に魚の船上販売を行なうというイベントを始めました。柴倉さんにとっては、捕った魚が市場に卸すより高く売れるし、江田島市の人々も新鮮な魚が安く買えるということで、どちらにとっても嬉しいものでした。

「生活もどうにか軌道にのって、多くの島の人達とも知り合うことができました。江田島での漁師生活は充実したものになる予定でした・・・。」

ところが、船上販売を続けるには設備の導入が必要ということで、『木曜どうでしょう』の開催をやむを得ず中止。しかもその直後、網を仕掛ける重要なパーツが破損し、漁に出られず、その上に柴倉さんが病気になり、長期療養。

「本当に踏んだり蹴ったりでしたよ。どうすればええんじゃろうって(苦笑)結局、体調のこともあり、漁師は一時休んでます。生活のこともあるので、今は前職を頼り電気の仕事をしています。」

居心地の良い島

一旦、電気工事の仕事につき、今は広島市の職場に通う柴倉さんですが、島での生活を続けています。

「島は居心地がいいんですよ。同世代の仲間も増えて、日々が楽しくなりました。そして、やっぱり海が好きだから!ですよ(笑)」

奥様も隣でうなずきながら、島での交友関係について語ってくれました。

「能美町高田の光源寺で年2回催されている『えたじま手づくり市』というイベントに子どもと行っているうちに、顔見知りが増えて同世代の仲間がどんどん広がっていったんです。『木曜どうでしょう』でもたくさんの知り合いができました。江田島は人との距離感がほどよくて居心地がいいんです。」

柴倉家の日常生活

柴倉さんご夫婦には、5歳と3歳になる息子さんがいます。島で生まれ、のびのびと元気に育っているお子様たちとの日々の暮らしについて、奥様に聞いてみました。

「近所の人が分かっているというのは、本当に安心です。子どもをクッションにご近所さんとも良い関係ですし、まちより暮らしやすいです。」

近所のおじいさんやおばあさんには、出産の時から可愛がってもらっていて、今もいろいろと子ども達に持ってきてくれるそうです。

「子どもに新鮮な野菜や魚を食べさせることができて、すごく嬉しい環境です。旦那が漁師をやっていたので魚も捌けるようになりましたし、料理の腕も上がりましたよ。」

普段の食事は、いただき物や産直市場で買った食材、それで足りないものをスーパーで買ってきて料理しているそうです。

「あと、今の時代で良かったと思うのが、ネット販売。おかげで洋服など、島に無いものも不自由なく買えるので、不便と思うことがほとんど無いですね。実際、子ども達がまだ小さいので、どこに住んでいてもネットで購入していたと思います。」

ご近所さんとの良好な関係、そして特に不便の無い生活。島の恵みも堪能しているようで、幸せな生活ぶりが伝わってきます。

まだまだこれからも

「子ども達が自然の中で育っていることに、すごく満足しています。でも、将来的には島を出ることも必要だと思っています。いろいろな環境を知って、好きなことを見つけて欲しいですね。都会を経験して島に帰ってきてもいいし、寂しいですが、そのまま都会で活躍してもいいですね。私は漁師になるといって江田島に連れて来てくれた主人に感謝しています。」

「お医者さんの許可がでたら、漁師の仕事を続けたいですね。やっぱり海が好きですから。」

奥様の子どもの将来についての言葉と柴倉さんへの感謝の言葉、決して漁師をあきらめた訳ではなく夢を追い続けている柴倉さんの言葉。既にお二人が島に対して深い愛着をもってくれているのだと感じました。柴倉家の皆さんは、まだまだこれからも島で活躍してくれるはずです。

<2021年1月掲載>

大柿町(小古江)は住んでみてどんなところですか?

私達は主人が漁師だったので、漁港が近い小古江に住んでいますが、日常のお買い物(産直市場やスーパー)も近いですし、住むのには便利です。あと、早瀬大橋が近い(笑)広島に行ったりするのも、子どもが小さいので車で出かけますが、思った以上に近いですね.

移住を検討されている方にアドバイスください。

島のイベントなどに行くと気の合う人が見つけやすいですよ。
私もイベントで積極的に活動している人達と友達になって、友達の輪が広がりました。