「陶芸家として、今後どういう道を歩むべきか?多くの陶芸家がいる京都で切磋琢磨するのが良いか、京都を出て仙人のように陶芸に没頭するのが良いか。」
広島市の出身で当時京都在住だった若狭さんは、10年前に陶芸家としての今後に相当悩んだそうです。
そんなとき思い浮かんだのが“江田島の亡くなったおじいさんの家”。思いついたら即行動で、同じく陶芸家である当時付き合っていた今の奥様を連れ、京都から江田島市へ移住してきました。
若狭さんのおじいさんの趣味が陶芸であったので、古いながらも陶芸をするガス釜などの機材が家にありました。そして、家賃がかからないという金銭面、島の気候が温暖で周りが静かという環境面。移住を決める条件としては十分だったそうです。
「おじいさんの家とはいえ、空き家は空き家でしたよ(笑)最初は、京都と江田島を行き来しながら、おじいさんの荷物を片付けることからスタートです。家が広いので片付けも大変でした。」
江田島市に移住してから奥様とご結婚されたのですが、独立した直後で貧しく、しばらくは二人で静かに陶芸に没頭する生活だったそうです。
「外出といえば食料の調達目的で広島の実家に行くことくらい。家から広島市内の実家までは車で1時間くらいなので助かりました(笑)」
「陶芸の仕事は、家から出ないですから孤独ですよ(笑)移住から2年くらいほとんど近所付き合いも無かったですね。ところが、子どもが生まれてから状況が大きく変わりました。近所のおばあさんやおじいさんが、赤ちゃんをみて愛想よく声をかけてきてくれたんです。」
子どものことをきっかけに、若狭さんのおじいさんの話を聞かせてもらうなど、徐々に話す機会も増え、近所の人達とのつながりが出来たとのこと。同世代の人達とも、子ども会や保育園を通じて知り合い、孤独な陶芸家生活ではなくなってきたそうです。
移住後に生まれた娘さんが8歳になり、その後生まれた息子さんも今はもう4歳。にぎやかになってきた若狭家に、子育ての環境について聞いてみました。
「子どもが少ない地域ですが、その分、子ども達を楽しませようと子ども会の集まりが多いのが私達には良かったです。」
奥様は、子ども達が楽しく過ごしているので満足しているそうです。ただ、子どもが大きくなってきて不安なこともあるようです。自分の受験勉強の際に塾講師とうまくいかず苦労した経験があって、子ども達には良い教育を受けさせたいという思いからだそうです。
「学年が1クラスなので、競争が無いのが不安ですね。学校に任せるしかないのですけどね(苦笑)高校進学の際、どこに行っても恥ずかしくない教育を小学校・中学校の先生達に期待しています。」
「私達はまちで育ったので不満や不安もあるけど、仕事もスムーズですし、家族が健康なので、ここで独立してよかったなって思っています。」
奥様に島での暮らしについて聞いてみると、何よりも家族の健康が大切で、幸せであることが伝わってくるお言葉でした。
「もともと江田島には仕事の場所を求めて移住してきたので、あまり期待をもって移住していないんです。」
若狭さんのほうは職人っぽい素っ気ないお返事でしたが、若狭さんのホームページでは日常の陶工生活をこう綴っています。
「瀬戸内の温暖な気候のなかには、感覚を刺激する一瞬がたくさんあります。青くゆきわたる空、穏やかに流れる海、実り豊かな恵みの山。四季折々な時を感じながら、陶生活をおくっています。」
『江田島の陶工、若狭 祐介と蓮尾 寧子』、お二人のご自宅兼工房兼ギャラリー『10サンジ』は、お子様が大きくなるにつれ、子どもの道具と若狭さんの趣味のサボテンで、手狭になってきています。そこで若狭さんはより広い空間を求めて、じっくりと時間をかけながら江田島市内の物件や土地を物色しているそうです。
<2021年1月掲載>
気候が良いですし、漁港が広くて散歩に出かけるには良いところです。1点残念なのは、島で数少ない下水道が整備されていない地域ということですかね。
主にグリーンコープ(食材の宅配)を利用しています。あとは藤三(スーパー)や頂いたお魚が多いです。欲しいものが島のお店に無いときは、呉市までお出かけします。